1人暮らしについて語ってみる
私が初めて一人暮らしをしたのは、18歳の時。
大学入学時です。
親が引越しについてきてくれて、そのまま1泊して帰ったのですが・・・
テレビをつければ、全部ローカル。
テレビ東京がない。
CMもローカルが多い。
ひとりになった途端、涙があふれてきました。
そして・・・・・・
引越してきた次の日には、群馬へ新幹線で帰りました。
え!?
親もびっくり。兄弟もびっくり。
大学が始まる前には、静岡に戻りましたけどねw
そこからはじまった静岡での生活。
まずは、ご飯が炊けない←今思ってもひどい。
本当に実家にいるときに何もしていなかったんだなぁ・・・。
ご飯を炊くのに、母親に電話して聞く始末。
もが氏「ね、ごはんって洗うの?洗わないでもいいの?」
母「ちゃんと洗うんだよ!」
もが氏「洗うって、洗剤使うの?使わないの?」
母絶句。
今思い出したら、もがさんも絶句しかないわ。
そのあと、なんとか4年間一人暮らしを続けたのですが、失敗だらけの毎日。
前にも書きましたが、1年目は友人がいましたが、2年目から孤独の毎日。
1年目のバイトは、写真屋さんで写真をやくという特殊なバイトをしていたが、時の流れは無常。デジカメの普及により、写真屋さんつぶれる。
2年目のバイトは、近所のスーパーマーケット。ここでも、絶句しかない発言をする当時のもが氏。
もが氏「キャベツとレタスの違いがわからん」
チーフ「!!!!!!!!!!!(なんやこいつ)」
本当にもの知らずでしたねー。ひどいひどい;;
その日から、夕礼には野菜の現物をもって説明するチーフの姿がありましたw
4年間静岡で過ごした後、この物知らずな世間知らずの田舎娘は無謀にも東京で一人暮らしを始める。
東急池上線の静かな下町。そこでもが氏は人生の大きな転換期を迎える。
大失恋!!!!!!
そこからうつ状態へ!!!
って、また暗い話かーい
ってなっちゃうので、この時期は省きます。
そして、東急多摩川線沿いへの引っ越し。
で、群馬へ引越し。
そして、東急多摩川線沿いへの引っ越し。
もう、引っ越しばかりじゃないか!!!!!!
結局、また群馬へ戻ってきたわけですが。
考えてみたら私・・・群馬で一人暮らししたことないわ!
びっくり!
親のすねかじりすぎ!!!!これはひどい!!!!
そんなこんなで(?!)今の旦那様と、中学以来の再開を果たしたのは本当に奇跡としか言いようがないのです!!!